
この時までにキッチンでの仕事で経験を積んで、私は、クリエイティブで、有能なシェフであるということが分かってきた。二人の優秀なシェフに仕込まれた後、有名なニューヨークの料理学校で奨学金を受けるように薦められた。食品を取り扱う仕事は好きだったので(未だに食べるのは大好きである)、シェフとしてキャリアを積んで行くのも一つの選択だったかもしれない。けれども、長時間キッチンで働いて、服に独特の匂いが染み込んでしまうのが好きではなかった。

私は1982年に結婚して、マサチューセッツ州のアムハーストに転居し、妻は学校に通い、私は、ニューイングランド地方で最も歴史があり、有名なカントリー・ホテルである、ロード・ジェフリー・インで、アシスタント・シェフになった。
時々、ギターも練習したし、アムハーストのベーシスト(彼も同じく日中、他の仕事をしていた)とコンビを組んだが、この時はまだ、私の音楽は収入を得られるものではなかった。私のシェフとしても評判はなかなかのものだったので、ロード・ジェフリー・インの支配人と話し合い、そのベーシストと私が、ホテルのラウンジで週に2日、キッチンの仕事の休日に、ジャズを演奏出来るように説得した。私自身、シェフとしてよりもギタリストとしての才能の方が特別なものであると説明すると(これは嘘であったけれども!)、彼は同意してくれて、結局私は、キッチンで週に5日働き、2日は、ラウンジでギターを弾いた。(つまり週に7日働いた)
その後、コック長に週にもう一日、ギターを弾かせてもらえるか尋ねたところ、答えはNOだった。彼は私にギタリストとしてよりも、コックとして、より長い時間、働いてもらいたかったのだ。その後、私はその仕事を辞めて、どこか演奏を出来るところがないかと探し始めた。