
1997年8月3日に、ユーラシア人、フィリピン人、マレーシア人、インド人、アフリカ系米国人、そして私(ギリシャ系アメリカ人)という構成で、美しい植物園の中でジャズ・コンサートを行なった。私の3枚目のCD“
ライブ アット ラッフルズ”はその数日後に録音された。そのCDは半分がベーシストのビリー・マルチネス(別名:フランク・スマトラ)のボーカルをメインにしたトリオによるもので、もう半分は、トリバル・タイドという全員シンガポール出身のパーカッション・グループと自分のいつものグループとの共演(パーカッション4名、サックス1名、ベース1名、ギター1名)になっている。
この新しいバンド形式に、私は”World Beat”という名前を付けた。スタジオ録音だけでなく、これらの屋外のコンサートでの曲の多くは、ドキュメンタリーフィルムやミュージックビデオと一緒にビデオテープ化されている。そのミュージックビデオの部分は、その”World
Beat”が、私のオリジナル曲、”
Samba
Sigh”を演奏している場面を収録したもので、ドキュメンタリーの部分は、私がアメリカ人としてアジアでどのような毎日を送っているか紹介していて、アジアで活動を行なうことのプラス面とマイナス面、なぜこの職業を選んだのかということ、そして収入を得ようとする努力や、様々な人種の人々と交じわうということ、そして一般的なアジアでの芸術に関するシーンが収録されている。

様々な民族的バックグラウンドのドラマーと共演することで、私はWorld Beatが演奏する曲、つまりアメリカのジャズに影響を受けた、アフリカ、キューバ、ブラジル、インドまた他のアジアの国の楽器や曲調を生かした新しい曲を作り上げた。1998年の中頃から年末までの私の目標は、6年間のシンガポールを始めとしたアジアでの経験と、自分自身の精神的な探求を表現した全てオリジナルで構成された4枚目のCDのリリースだった。
私自身、正直なところ、アーチストとして、(また人間としても)6年間アジアで、人生の中で最も貴重な経験をすることが出来たと思っている。パフォーマーとして屋外ステージで学び、自分の曲を録音することを始めた。そして、自分がどのような人間なのかということも随分良く分かってきた。